小林正樹の『人間の條件』は、 戦争のなかでなお生きることを問うた作品だ。
恩師會津八一の学規には「ふかくこの生を愛すべし」とある。 この師弟の交流を追う。
小林正樹(1916~96)は、日本を代表する映画監督の一人ですが、早稲田大学で美術史を学び、會津八一(1881~1956)の指導を受けています。
昭和16(1941)年、卒業論文『室生寺建立年代の研究』を執筆した小林は、研究者として八一に将来を嘱望されていましたが、映画の道を選択します。それでも二人の交流は戦中戦後の激動期も続き、師弟の温かな手紙のやり取りが続けられました。
戦後、映画監督になった小林は、『切腹』『怪談』(カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞)や、戦争をテーマにした全6部の超大作『人間の條件』、長編記録映画『東京裁判』等を世に送ります。昭和46(1971)年には、カンヌ国際映画祭で世界十大監督の一人として功労賞を受賞し、国際的にも活躍しました。
小林は映画監督を志して以来、八一を題材にした映画を構想しています。その計画は、彼の晩年、テレビドキュメンタリーで実現しました。しかし、小林は体調を崩して監督を降板、監修者として八一を演じた仲代達矢氏らを指導しています。この番組は小林が没した平成8(1996)年10月4日の9日後の13日に放送されました。
本展では會津八一没後60年と小林正樹生誕100年、没後20年にあわせて、往復書簡など、二人の芸術と交流を紹介します。
小林正樹
(こばやし・まさき / 1916-1996)
映画監督。早稲田大学文学部哲学科藝術学専攻で會津八一に師事。昭和16(1941)年松竹に入社した翌年応召、満州に出征、宮古島で終戦を迎える。その後、木下惠介の助監督を務め、昭和27(1952)年に監督デビュー。「完全主義」「反骨」「反権力」などと評される小林の映画作品は、学生時代に師事した八一にも通じるところがあると言われる。生涯で22本の監督作品を送り出し、国内外で数々の映画賞を受賞、海外で最も評価された日本人映画監督の一人である。
学規
小林正樹が早稲田大学卒業時に會津八一から贈られた書「学規」(世田谷文学館蔵)。弟子と認めた者にのみ書き与えられた四カ条からなるこの書を、小林は生涯の指針とした。