相馬御風肖像

略歴・解説

詩人・歌人・評論家。新潟県糸魚川市生まれ。本名昌治。大学在学中から文学活動で頭角を現しますが、1916(大正5)年以後、故郷で生活。代表作に随筆『還元録』 、研究書『大愚良寛』、唱歌・校歌などの作詞多数。

八一との関係

大学の同級生。互いの作品を送りあうなど40年来の友情で結ばれています。戦後、糸魚川の御風宅で対談し旧交を温めています。また御風の死に際して八一は悼辞を新聞に掲載しています。

八一の言葉

私が最初から見抜いていた通り、相馬君は本質的に「越後もの」であったのであろう。(「相馬御風のこと」より)

御風の言葉

秋草道人(秋艸道人)はまた私達と同じく良寛の國越後に生れ、且育てられた人である。色彩に乏しい北國の荒涼たる自然に育くまれたこの人が、青丹よし奈良の都の荒廃の美に不思議な魅力を感じてゐる。私はそれを決して矛盾とは思はない。むしろそこでこそ此の『南京新唱』が生きてゐるのだと思つてゐる。(『早稲田文学』1925(大正14)年4月「砂上漫筆」より)

関連作品

良寛扇面「きてみれば」

「きてみれば」(良寛扇面、新潟市會津八一記念館館蔵)
1946(昭和21)年7月、八一が糸魚川の御風宅を訪問した際に、御風から直接手渡された良寛書の扇面。

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