2010年9月 4日
特別展開催のお知らせ
9月11日より會津八一記念館開館35周年記念 平成22年度特別展「會津八一 人生の書 ~手紙で読む生涯と交友~」が開催されます。6日から10日までは展示替え休館となりますのでご了承ください。
今回は八一の超大作、表裏合せて15m84㎝の折帖の説教状「與奥田勝書」(小さな栗の木美術館蔵)を特別公開。若き彫刻家に宛てた感情が前面に出ている文面、大きく一文字ずつ書かれながらも躍動感あふれる筆致、必見です。
また、八一が友人や門下生、早稲田大学の同僚だった窪田空穂、吉江喬松、日夏耿之介の交友を書簡と書作品で紹介します。さらに、没後60年を迎える相馬御風と八一の交流を「良寛」をテーマに見ていただきます。御風と八一は同級生で40年以上に渡る友人ですが、書簡でその交友を温めていました。御風旧蔵の良寛書や良寛遺愛「鉢の子」(木製の小鉢、個人蔵)など逸品も展示いたします。
詳しくは、後日特設ページ、またblogでも随時紹介致します。
開催期間
平成22年9月11日(土)~11月23日(火)
休館日
9月21・27日 10月4・12・18・25日 11月1・8・15日
主 催
新潟日報社 BSN新潟放送 新潟市 財団法人會津八一記念館
協力企業
浅川園、今成漬物店、大阪屋、里仙、高橋酒造(50音順)
観覧料
一般500円・大学生300円・高校生200円・小中生100円
※団体20名以上2割引、土日祝日は小中学生無料
2010年8月27日
秋の気配
8月も残り数日。しかし、いまだに強い日差しで、うだるような暑さです。この暑さは9月も続くようで、秋の到来はまだまだ先といったところでしょうか。
当館ではひと足早く秋を堪能できる作品を展覧会で紹介しています。唐時代の詩人・耿湋(こうい)が詠じた「秋日」の漢詩を會津八一が短歌に翻訳して揮毫した珍しい墨蹟です。
返照入閭巷 憂來誰共語
古道少人行 秋風動禾黍 耿湋
返照(へんしょう)は閭巷(りょうこ)に入り
憂ひ来つて誰か共に語らん
古道は人の行く少なし
秋風は禾黍(かしょ)を動かす
いりひさす きびのうらはを ひるがへし
かぜこそわたれ ゆくひともなし
【大意】夕日がひとけのない村に照り返し、わびしい思いがこみ上げてくるが、村の古路には、行きかう人もなく、それを語る相手もいない。ただ、キビの葉ばかりが秋風に揺れさやさやと音を立てている。
大正12年、八一は唐詩の中でも日頃愛唱していた詩を長い期間かけて訳詩し、『印象』と題して短歌にしました。「いりひさす」は「返照入閭巷」の訳詩です。作品は、終戦の年の8月1日、八一の誕生日に新潟県北蒲原郡中条町(現胎内市)の縁戚・丹呉家の御堂・観音堂で揮毫したもので、文人・富岡鉄斎の画を刷った詩箋に墨痕鮮やかです。仏像ブームの火付け役・興福寺の多川俊映貫首はこの書を「今はやりの3Dもビックリの躍動感。道人(八一)のすべてがここに出ているのではないか」といい、中国文学研究者の興膳宏氏(元京都国立博物館館長)は「書についていえば、漢字と仮名の融合しているところにまず惹かれる。耿湋は『唐詩選』にこの一首だけが選ばれていて、確かに秀作ではあるが、もし八一の歌がなかったら、私にとってかくまで深い印象を与えなかっただろう」とも評しています。
本作品は、企画展「私が選んだ八一の書~著名人編~」(9月5日まで)に展示しております。残暑厳しい日々が続いておりますが、秋の気配を感じさせる詩ごころに心寄せてみてはいかがでしょうか。
(学芸員・喜嶋)
會津八一書「返照入閭巷」「いりひさす」(會津八一記念館蔵)
2010年8月20日
生きる指針「学規」
現在、東京・三井記念美術館で開催中の「奈良の古寺と仏像-會津八一のうたにのせて」もあと1カ月となりました。(9月20日まで)1日1000人を超えるほど、毎日多くの来場者で会場を埋め尽くしているそうです。またミュージアムグッズでは、會津八一書「学規」の色紙やクリアーファイルが好評です。三井記念美術館で「学規」が展示している関係でしょうか?または先月と今月もNHK教育テレビ『日曜美術館』で「広目天のまなざし 會津八一と戦没学生が見た奈良の仏」が再放送され、出演者の俳優・寺田農氏が学規四則を紹介していました。その反響もことのほか大きかったに違いありません。当方にも、「学規」の内容や読みについて問い合わせが相次いでいます。
「学規」四則を作成したのは大正3年8月です。『新潟新聞』大正3年8月27日に「落日庵消息」と題して学規が紹介されています。東京府小石川区高田豊川町(現・文京区目白台)に転居したばかりの八一は、郷里の新潟から受験生を受け入れていました。八一は彼らの姿を見て「学規」を作成し、机を並べていた八畳部屋の床の間の壁に学規を貼っていたとの事です。
当初は、書生のために作成したものの、後には自分自身の警句として、八一自らが実行し、多くの門下生、友人に渡された言葉となりました。内容は尊い生命を大切にすること、自分自身をありのまま見つめること、学問や芸術により人間としての人格を培うこと、日々前進できるよう努力することを説いています。
現在、当館で開催中の企画展「私が選んだ八一の書」(著名人編)では、作家の工藤美代子氏が1位に『学規』を挙げています。「〈深くこの生を愛すべし〉という最初の言葉を聞いただけで、どっと涙があふれた」と。人生に迷っていた35歳の頃、『学規』の言葉に救われたエピソードを展覧会で紹介しています。生きる勇気や希望を与えてくれる『学規』、価値観が不透明な今の時代だからこそ、かみ締めていきたいものです。
(学芸員・喜嶋)
會津八一書「学規」(會津八一記念館蔵)
2010年8月13日
酷愛する奈良に八一歌碑誕生
本日はお盆。亡き人の、み魂が戻ってくる日です。お墓参りに行かれた方、またこれからお参りする方もいらっしゃることでしょう。墓地へいくと、さまざまな趣向を凝らしたお墓が多々あります。オブジェや好きな言葉や詩を自筆で刻んだ墓石などは特に近・現代の著名人のお墓に多く見受けられます。例えば、女優田中絹代の墓碑(鎌倉・円覚寺塔頭松嶺院)には、彫刻家・羽下修三が制作した絹代の肖像彫刻と八一が揮毫した「游於藝」(映画監督・小津安二郎所蔵)の文字が刻まれています。一方、八一の墓碑(新潟市・瑞光寺)は、篆刻家・山田正平が揮毫した「渾齋 秋艸道人」の書が刻まれ実にシンプルな碑です。いしぶみといえば、八一の自詠自筆の歌碑が全国で41基、揮毫碑が12基、揮毫墓碑が20基もあります。
特に歌碑について、歌の選定、建立地、石の材質、自筆の原稿、厳密な彫り具合など細部に八一はこだわりを持っていました。「私などの歌でも、石に彫るからには、保存さえよければ、優に千年あまりの後までも伝はる。それが上手だとか下手だとかといふのではなく、遺りさへすれば、だんだん値うちが出て来るにちがひない。歌も字もへたくそだといつたら、ますます面白いかも知れない。だからいよいよ作るなら、いろいろの条件をよく考えて、出来るだけ忠実に作つておきたいと思ふ」(「私の歌碑」『新潟日報』夕刊 昭和25年1月1日)で述べているように、自らの芸術を「忠実に」後世へ伝えたいためであったのです。
今年は八一の歌碑が新たに2基、酷愛した奈良の地に誕生します。1つは喜光寺に
ひとりきて かなしむてらの しろかべに
汽車のひびきの ゆきかへりつゝ
(『南京新唱』〈菅原の喜光寺にて〉より)
もう1つは中宮寺に
みほとけの あごとひぢとに あまでらの
あさのひかりの ともしきろかも
(『南京新唱』〈中宮寺にて〉より)
の歌碑がそれぞれ建立されます。先日、其々のお寺に伺い、建立予定地を見学してきました。石の選定はこれからですが、除幕式に向けて関係者とも急ピッチで準備に励んでおります。なお、喜光寺の除幕式は10月31日、中宮寺の除幕式は11月29日です。
現在、歌碑建立の募金運動を行なっております。ご協力頂ける方は、当記念館までご連絡下さい。
(学芸員・喜嶋)
喜光寺歌碑の原稿
「ひとりきて」
中宮寺歌碑の原稿
「みほとけの」
2010年8月 6日
禅のこころ ~八一祭記念講演会より~
會津八一の誕生日(8月1日)を記念する文芸講演会が3日、行われました。1999年から毎年行われる八一祭も今回が12回目。今年は、金閣寺・銀閣寺・相國寺の住職を兼ねる有馬頼底師(京都仏教会理事長)に八一の書いた禅の言葉=禅語を紹介して頂きました。
有馬師は、東京都のご出身。学習院で天皇陛下とご学友で、8歳の時、大分県岳林寺に入門。22歳の時、京都臨済宗相國寺僧堂に入門、修行。現代日本の仏教界を代表する禅僧でご活躍中です。有馬師は八一ファンであり、当館を見学した際に、「禅語を揮毫した書画作品が多いのに驚いた。(八一先生は)随分禅語に親しんでいたことを知った」と話しておられました。講演会では、有馬師が自ら選んだ八一の禅語の書15点を挙げ、自らの体験談を交えながら、言葉に込めた禅の精神をわかりやすく解説してくださいました。
私が一番印象に残ったのは、写真にある達磨図自画賛です。
闔国(かっこく)の人
追へども再び来たらず
千古万古空しく相憶ふ
(『碧巖録』第一則の「聖諦第一義」)
この禅語は、中国仏教を正しく導く為にインドからやって来た達磨大師と梁の武帝との問答による後日談です。武帝は仏教信者で、沢山の寺を建て、何万人ものお坊さんにお布施もした。ついてはいったい自分にはどんな功徳があるのだろうかと達磨大師に問います。達磨大師は「無功徳(むくどく)」。何の功徳もない、という。何の見返りも求めないのが本当の功徳だと。さらに武帝は、〈朕に対するものはだれぞ=わたしの前にいるあなたはだれか、聖職についている高貴な僧ではないか〉と食い下がります。大師は「不識(ふしき)」。そんなことは知らん、と。人間に聖も俗も、貴も賎もない、それぞれの命があるだけというのが不識だというのです。
達磨は執着心の塊である武帝の行いを正そうとしたけれど理解されず、嵩山少林寺へ引きこもります。その後、武帝は自身の不明を悟り、達磨を呼び返そうとした。しかし「闔国(かっこく)の人追へとも再び来らず 千古万古空(むな)しく相憶(あいおも)ふ」国中の人が追いかけても帰っては来ない。あゝ残念な憶いでいっぱいだ、という。有馬師は「千古万古空しく相憶ふ」について、一度チャンスを逃したらもう得られない、逃がした魚は大きいことを例えて話されました。この解説を聞くと、上目使いに描かれた達磨の心情が分かるような気がします。ちなみに、八一はこの一節を短歌でも表しています。
のちのよを こぞりてひとの しのぶとも
ふたたびあはむ われならなくに
(『寒燈集』「自画題歌」)
これまで、「禅」は難しく、馴染みにくい印象がありましたが、今回の講演では、身近な日常生活の中から禅の心を学べることを知りました。現在開催中の企画展「私が選んだ八一の書」には、有馬師が選んだ3点の禅語作品も展示しています。作品とともに、禅のこころを味わってみてはいかがでしょうか。
(学芸員・喜嶋)