新潟市 會津八一記念館

會津八一記念館ブログ『秋艸日記』

2012年3月25日

銀閣寺の名庭師・田中泰阿弥

 少し前ですが、3月初旬、京都へ出張の合間に銀閣寺へ見学してきました。銀閣寺というと、観音殿(銀閣)などの建物ばかりが注目されますが、庭園も趣があります。この庭園には、なんと新潟出身の人物が深く関わったのです。その名は、田中泰阿弥(たなか・たいあみ=本名泰治 1898~1978)、柏崎市出身の庭師です。室町時代の8代将軍足利義政の時に造られ、その後400年の間に土砂崩れで埋没した「洗月泉石組」=画像=を1929年に泰阿弥が発掘。さらに、31年には、東求堂の丘から足利義政愛用のお茶井戸なる石組も発掘し、2つの石組を復元したのです。泰阿弥が銀閣寺での成果を実兄に宛てた書簡を最近読んだのですが、「大庭園が忽然として世に顕れ世界に比類なき我国造園史上に一層意義あらしむる事となる事は誠に悦しい事であります」と感激した言葉が綴られていました。

 銀閣寺での仕事が一躍世間に知られ、京都・相国寺の庭や全国各地での造園作業に関わるようになり、庭の世界では今も「庭匠」としてあがめられている泰阿弥。戦後、會津八一とも知り合うようになります。新潟市江南区の北方文化博物館の伊藤邸に出入りしていたころでした。1955年、八一終焉の地・同市南浜通の北方文化博物館分館に「かすみたつ はまのまさごを ふみさくみ かゆきかくゆき おもひぞわがする」の歌碑が建立される時、実は泰阿弥が深く関わっていたのです。石工を紹介したり、歌碑の相談を受けたりするなど、八一と親しく交流しました。短歌も詠じる風流人泰阿弥。八一歌碑が建つ喜びは感慨もひとしおで、日記には、当時の心情が次の一首に込められていました。
 
霞たつ 春をやまたむ 南浜に 秋艸道人の 歌碑たつおもひは    泰阿弥
 
 なお、泰阿弥が手掛けた庭園は県内においても、高柳町の貞観園、与板の豊耀園(植木邸)、新潟市秋葉区の中野邸美術館(中野邸)、新発田市の清水園、菊水酒造(高沢邸)など数多くあります。
                                                 (学芸員・喜嶋)
 

2012年3月10日

春の草の話

 3月に入り、新潟市街の道路に残っていた雪も融け、徒歩での来館者も少しずつ増えてきています。それでも、まだ寒い新潟。展示中の第5回秋艸道人賞の新飯田茂雄さんの作品「あめつちに」を見ていると、桜の咲く季節が待ち遠しくなります。例年、三月末になると記念館の庭では、自称「新潟市街で一番早く咲くソメイヨシノ」が咲き始めますが、残念ながら、まだつぼみも見えない状態です。

 さて、今回の展示「収蔵品展」では、少し早い春にまつわる八一の作品をいくつかご紹介しています。その中で、「平家物語 巻十一 逆櫓」の一節を揮毫した碑の拓本作品も展示しています。
 
  春のくさ 暮れて あきのかぜに おどろき 
  秋のかぜ やみてまた はるのくさにもなれり
 
 この作品の原本は、当記念館の協力企業でもある浅川園の創業者、故・浅川晟一氏に渡されたものです。昭和30年10月1日の新潟大火の際、浅川園の古町本店が全焼。そのお見舞いとして、八一はこの言葉を揮毫し、渡しました。この書を受取った浅川晟一氏は「大火後の沈みがちな心に、勇気づけられるような気持がして、復興の意気に奮い立った」(「浅川園物語」より)と述べています。
「収蔵品展」は3月25日まで、ぜひご来館ください。
 
 3月11日は、東日本大震災発生から1年を迎えます。犠牲となられた方々への哀悼の意を表すとともに、被災地の一日も早い復興と被災者の方々が一刻も早く生活を再建できるよう祈念いたします。
(学芸員・湯浅)

2012年2月25日

新潟市・奈良県 歴史文化交流協定が締結されました

 去る2012年2月17日、新潟市と奈良県は、歴史・文化に関する相互支援、協力を推進するため交流協定を締結しました。今回の交流協定は、奈良をこよなく愛し、多くの短歌、書、美術史研究を遺した會津八一が縁で結ばれ、調印式に当記念館の神林恒道館長も出席しました。

 これまで新潟市會津八一記念館では、開館以来、八一が愛した奈良とのご縁を大切にし、交流を深めてまいりました。2010年には、平城遷都1300年に合わせて展覧会「奈良の古寺と仏像 會津八一のうたにのせて」が、新潟・東京・奈良の3会場で開催され、多くの入館者を呼び、無事閉幕することができました。
 当記念館では、この交流協定をきっかけに、さらに會津八一とその学芸の顕彰、普及活動に努めてまいりたいと考えております。その第一弾として、4月1日から締結記念の企画展「入江泰吉没後20年 會津八一と入江泰吉」を準備しております。一方奈良県では、奈良県立図書情報館で「(仮)會津八一の足跡をたどって」を、5月15日~27日まで開催する予定です。展覧会の詳細は、後日改めて広報いたしますが、どうぞご期待下さい。
 
 開催中の「収蔵品展、同時開催第5回秋艸道人賞写真コンテスト入賞入選作品展」は3月25日までとなります。新潟市内は不安定な天候が続いておりますが、現在は地面の雪もほぼ解けています。お足下にお気を付けてご来館ください。
(学芸員・湯浅)
 

2012年2月11日

コリントゲームの話

 毎日寒い日が続き、大雪で大変な地方も多いこの頃、いかがお過ごしでしょうか。記念館は元気に開館していますが、ご来館の際は足元にお気を付けてご来館ください。

 こんな冬の日は、外出するよりも自宅でゲームなどをして過ごす人も多いのではないでしょうか。開催中の「収蔵品展」では、八一も楽しんだであろう新収蔵のゲーム機を紹介しています。そのゲーム機は、球転がしの盤物ゲーム「コリントゲーム」。今ではスマートボールやピンボールゲームという名称で知っている人も多いと思います。

 1937年(昭和12)、八一の自宅・東京目白文化村秋艸堂に頻繁に遊びに来て、掃除などを手伝ってくれる女学生の姪のために八一が購入したといいます。盤の裏には、八一の書で「昭和十二年二月十四日購 秋艸堂食堂」と記されています。このゲームで楽しく遊んでいる姪の姿を、八一はいつもにこやかに見ていたそうです。その後、姪は学校を卒業して新潟に帰郷。その際、八一はコリントゲームを姪にプレゼントしました。子供好きで、面倒見の良い八一らしいエピソードですが、新潟まで汽車で帰郷した姪は、この大きなコリントゲームを苦労して肩に担いで帰ったそうです。
 ところで、コリントゲームの名称は、古代ギリシャの円柱形式・コリント式や、ギリシャの町・コリントスから由来するものと思っていたら、実は違うようです。元々はアメリカから輸入されたゲーム機を薬品メーカー・小林脳行が改良。会社名を音読した「コリン」に、音の響きに合わせて「ト」を加えて「コリントゲーム」と命名、発売したことから全国に広まったそうです。玩具の歴史も奥が深いものです。
 (学芸員・湯浅)

2012年2月 4日

黒光菴の話

 今年の新潟県は毎日雪マーク。記念館周辺にも雪が積もっていますが、天気予報では寒波は峠を越したとのこと。少し安心しています。

 さて、現在開催中の「収蔵品展」ですが、近年新たに収蔵された作品資料もご紹介しています。ひとつは、新宿中村屋の創業者で女店主、相馬黒光に贈った書「黒光菴」。新宿中村屋といえば、インドカリーや芸術家を庇護したことで有名な老舗店です。

 黒光は、八一から書「黒光菴」を数枚渡されていますが、この作品はその一枚。黒光と親交のあった中学校の女性教諭が、書を学んでいたことから、譲り受けた書になります。
 昭和26年(1951)6月14日、黒光は八一宛の手紙で「黒光菴」を自宅の応接間に懸けていると記しています。その手紙を詠んだ八一は「貴菴に於ける拙筆額面(※《黒光菴》)等の御消息は興味深く拜承致し候」と返信しています。
 
 八一と黒光との交流は大正時代から始まりました。当時、八一は早稲田中学校の英語教師で、進級の成績に達しなかった黒光の息子・安雄を諭し、落第させました。すぐに相馬夫妻が八一を訪ね、いさぎよく落第させたことを非常に徳としてお礼をしたそうです。以後、黒光は、八一を最も尊敬する人物として名前を挙げています。安雄は八一の薫陶を受け成長し、新宿中村屋の2代目社長となり活躍しました。近年は日本での盲導犬の普及に尽力した人物としても知られています。
 
 ところで、會津八一記念館では2月より入学、就職シーズンにあわせて「学規」の複製を特別価格で販売いたします。額装、色紙、未表装の3種類をご用意しております。学問の規則を記した4ヶ条、入学、就職祝いなどにご活用ください。詳しくは會津八一記念館までお問い合わせください。
(学芸員・湯浅)

新収蔵 會津八一書「黒光菴」


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